一橋大学

EUワークショップ 2021年5月12日 コメンテーターのコメント

2021年5月14日中西優美子(Yumiko NAKANISHI)

 

EUワークショップ 2021年5月12日 コメンテーターコメント

 

コメンテーター:一橋大学大学院法学研究科修士課程 松村一慶

 

報告者①:二見華さん「『新しい公衆』論に関する議論について」

 二見さんは、YouTubeのようなオンラインプラットフォームの管理者の著作権侵害から保護する制度を日仏(EU)で比較する研究をされていらっしゃいます。今回、二見さんは、谷川和幸氏の論文「欧州司法裁判所の『新しい公衆』論について(1)」を読んで評価しました。

2006年のSGAE先決裁定における欧州司法裁判所(以下、ECJ)判決で、初めて「新しい公衆」という概念が登場しました。まず、前提として著作者が発信する第一伝達に対し、別の自然人、法人による伝達を第二伝達(リンキング)といい、本件では被告が経営するホテルの客室のホテルで客にテレビを視聴させる行為が公衆伝達権の侵害となるかが争点でした。第二伝達は、第一伝達が対象としていた公衆とは別の「新しい公衆」に向けられた伝達行為であり、ホテルの客は新しい公衆に該当し、放送された著作物を享受することができないとしました(Case C-306/05, para40,42, 谷川(2019)pp.115-116)。

一方で、Svensson判決では、「新しい公衆とは、著作権者が最初に公衆へ伝達を許諾する際に考慮に入れていなかったような公衆」(Case C-466/12, para24, 谷川(2019), p.122)とECJは判断しており、谷川氏は「新しい公衆」の判断基準が個人的主観的事情をどこまで入れるかが明確でないとしている(谷川(2019), p.124)。

前回紹介していただいたZiggo BV判決(Case C-610/15)でも「ユーザが指令2001/29の3条1項の意味の範囲内で『公衆伝達』を行っているかどうかを判断するためには、独立ではなく相互に依存しているいくつかの補完的な基準を考慮する必要がある。その結果、それらの基準は、個別に、また相互に作用しながら適用されなければならない。」(Case C-610/15, para25, Case C-527/15 para 30 cited)と述べられており、二見さんは「新しい公衆」のはんだ基準が確立されていないことに起因する文言であると感じたそうです。

谷川氏によると、日本国内では、「狭い『公衆送信』概念を広げていくという伝統的理論構造が今後変革を迫られる兆候が見られる」(谷川(2019), p.124)ようです。二見さんは日・EU-EPAやオンラインに関する国際法や統一的規制を定めるうえで、欧州で行われている議論が持ち込められる可能性を考慮すると、日本と欧州は法的構造や制度が異なるとしても、検討する意義は十分あると考えました。

質疑では、熊本先生からは「新しい公衆」の定義について多くの質問がなされました。例えば、ウェブページの翻訳を見た人は「新しい公衆」に該当するのかという質問には、それもSvensson事件の残した課題であるとしてまだ定まっていないという回答でした。竹村先生からは、SGAE判決の詳細について確認があり、本件のテレビ番組とはどういうものなのかという質問には、NHKやケーブルテレビのような徴収料を払うもので、営利目的を満たしているものとのことでした。ほかにも、私やほかの先生方からスポーツバーやショッピングモールでのパブリック・ビューイングのコーナーではどのような場合に該当するかについては、店先等で客寄せを行った場合に「新しい公衆」に該当するようです。秋山先生からは「新しい公衆」を用いてどう日仏で比較していくのか、「文化の発展」の重視をどうとらえるのかについて質問がありました。

順調に一つずつ検討が進んでおり、修論の執筆は順調なように感じました。さらなる進展を期待しております。

 

報告者②:吉本文さん「CFSP分野におけるECJの裁判管轄権拡大について」

 吉本さんはCFSP分野におけるECJの裁判管轄権拡大について研究していらっしゃいます。今回は、CFSP分野におけるECJの裁判管轄権拡大が司法積極主義的なのかというRQでした。その結論は、「①ECJの裁判管轄権をみとめなくても、加盟国裁判所がEU法の解釈の最終裁判所になるわけではない場合には、必ずしも司法積極主義的判断とは評価されない、②ECJの裁判管轄権を認めなければ、加盟国裁判所がEU法の解釈の最終裁判所になる場合、司法積極主義的な判断と評価できる」とのことでした。

質疑では、まず、熊本先生からECJが司法積極主義として裁判管轄権を進める目的について質問があり、ECJの権利を自ら認める政治的な目的があると回答しました。次に、熊本先生、秋山先生から、ECJが必要であればするということは①も②も司法積極主義なのではないかという質問でした。また、竹村先生は、ECJの裁判管轄権拡大は司法積極主義とみなせるのか、欧州連合運営条約(TFEU)263条・275条の条文で十分できるのではないかとの指摘がございました。

法律の知識はあまりないので断定できませんが、司法積極主義という概念がどのようにECJ裁判管轄権拡大に該当するのか、については再検討の余地があるのかもしれません。一方、CFSPへの管轄権拡大に該当する判例は前回より増えているので、この研究の重要性や意義は増大することでしょう。コロナ禍で大変だと思いますが、留学と研究のさらなる進展と成果を願っております。